地域コミュニティはとてつもなく重要である。
春〜夏は、地域の最小単位である町内(我々のところでは隣組と呼んでいる)の行事が色々と行われる。
私も若い頃は、町内の行事が面倒でならなかったし、できるだけ出なくていい言い訳を常々考えていた。最近では、みんな歳をとってきていて、そんなに集まらなくてもいいんじゃない?なんて意見もあって、必要最小限にはなっているとはいえ、各種行事は地域コミュニティにとって重要な時間であることは間違いない。
今日は、7月に執り行われるやぶはら祭に向けて、町内の環境整備が行われ、息子氏たちも張り切って軍手をして草カキを持って参加してくれた。
学校や保育園のお友だちも一緒になって、道端の雑草を抜いたり、集めたゴミを運んだりとたくさん参加してくれたのは、親バカとしては誇らしい。
そんな町内の環境整備。息子氏たちも大きくなってきて、私の目が届かないところで作業していたり、お友だちと遊んでいたりするのは言うまでもない。私自身も作業に夢中になって、息子氏たちの存在を追いきれなくなっていた。
ありがたいことに、町内全域に近隣の皆さんが出張って作業をしていると、誰かしらがちゃんと見守ってくれている。もちろん親が責任を持って見守っていなくてはならないのは当然だけれども、姿が見えなくなって息子氏たちの名前を呼ぶと、「ここにいるよ~」とか、「お父さんの近くにいるからね~」とか、近所の人の声で返事があったりして、皆さんに見守られているのだと実感した。
過疎地域である木祖村は、当然子どもの人数も減ってきているし、地域そのものが空き家だらけで、劇的に人口が減っているのも抗えない事実である。
核家族として生活する(我が家はまだ違う)ことにも、むしろ私は心地よさを感じるだろうと思っているから、現代日本の生活様式がすべて悪いとは思っていない。
ただ、子どもにとって、親や家族以外の大人との関係性構築や、そういった大人から褒められたり注意されたり、親不在の環境でも臆することなく対話ができたり、要は学校や習い事に加えて、地域の大人たちとの関わりは、彼らの豊かな成長にとって必要不可欠なものだと感じている。
家庭ではわがまま放題だし親の言うことはなかなか聞かないけれど、地域コミュニティの中で言葉遣い、礼儀、所作、気遣い、それに本音と建前みたいなものも、自然と会得していくものだろう。
地域コミュニティは、最近では高齢者の見守りの役割が大きくなってきているものの、子どもの見守りの役割も果たされていて、高齢者と子どもがともに過ごせる地域の存在と、その中で育てていただいている有難さはとても大きい。