善光寺詣りにいってきた
息子氏二人を連れ立って、善光寺詣りに行ってきた。
とはいえ、歴史や信仰にも疎く、
神社仏閣に関する知識も浅く、
6歳4歳の彼らが興味を示すほぼ全ての質問に、
正しく(あるいはそれなりに)応えられたわけでもなかったのだが。
ただ、何も知らずとも観光客でごった返す中でもその厳かさを感じ、
山門から本堂、経蔵、史料館とを拝観して、
皆どこか満足気に帰路についたのは、
善光寺御本尊からパワーを頂くことができたからなのであろうか。
ご戒壇巡りをするかしないか、
なんとしても行きたい息子氏①と絶対に行きたくない息子氏②、
本堂脇でせめぎあいを繰り広げた結果、
息子氏②を左手に抱っこして息子氏①の手を右手で握り、
彼に壁を触りながら進んでもらう形で巡ってきた。
私自身何度目かのご戒壇巡りだったものの、
あまりの暗さで当然のごとく前の人も息子氏たちの顔も見えず、
息子氏②は怖い出たい帰りたいと泣き叫び、
むしろ泣いて出たいと騒ぐと思っていた息子氏①は、
私よりも冷静に壁を触り進み続けてくれて、
無事に三人で「極楽の錠前」に触れる事ができた。
漆黒の中で泣き叫ぶ息子氏②に向けて
「大丈夫、前にも後ろにも人がいるから」と声をかけていた私は
何かが違っていたんだと今これを書きながら感じている。
外に出ると、あんなに泣いてた息子氏②は晴れ晴れとした顔をし、
息子氏①は僕がいたからやってのけたんだと自慢げで、
母はといえば、その前に参拝した山門の急な階段の昇り降りで
すでに足がすくんでいたこともあったのか、
どことなく足が震えていたのは言うまでもない。
大人は子どもを守るとか、
そんなことすら漆黒の闇の中では成立せず、
邪念をもってして怖さを感じる大人と、
純粋にその場を感じ取る子どもとの違いなんだろう。
そもそもは帷子草履に白木の念珠といった棺に入る際の姿になり、
念仏を唱えながら巡ったと言われているようで、
錠前の真上にいる絶対秘仏である御本尊と結縁を果たすことで、
極楽往生の約束をいただく道場だったそう。
家に帰ると、
父や祖母に「僕はひとつ強くなってきたんだ!」と
息子氏たちは得意にそれぞれ語っていた。
まだまだ極楽浄土など見る必要もない、
明るい未来しかない彼らは、本当に強くなったのだ。