鷲沢杜氏と私。

2005年に私が蔵に帰った時から3シーズン+最後のシーズンはたった1カ月。
鷲沢杜氏(おやっさ)と一緒に酒造りをした期間。
今振り返るとたったそれだけかって思うけれども、
おやっさには酒造りのことだけでなく様々なことを教わったし、
たくさんたくさん、とにかくたくさん一緒にお酒を飲んだ。
最後は不義理をしてしまって、
そこから2017年か2018年に小谷村へ会いに行くまでの間、
こちらから何か連絡をするようなこともなく、
気づけば10年近い年月が経ってしまっていた。
その後、さらに年月が経った2025年のつい先日、
小谷村の職員さんがおやっさからのビデオメッセージを携え、
蔵まで足を運んでくれたのだ。
84歳になったと聞いたが、写真の記事がまだウチの蔵にいたころだから、
少なくとも今は88歳にはなっているのではなかろうか。
耳の聞こえが少し悪くなったようで、喋りもたどたどしく、
the おじいちゃん、って感じになったのは否めないけども、
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尚子、げんきか?しばらくだな。
木曽路を毎日飲んでがんばってるぞ。
会いたいなぁ。
いい酒造ってくれてありがとな。
一生飲める酒を造ったつもりだったけど、
どうやら一生飲めそうだ。
これからもいい酒つくってな。
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って、短くてもぬくもりのあるメッセージをいただき、
すごくすごく嬉しかった。
時間軸を確認するのに、自分のブログを読み返してみたけれど、
たくさん教わりながらも、若さゆえの反発もたくさんしてきたし、
「見て覚えろ、感じて学べ」の時代で、
なかなか知りたいことを教えてもらえないもどかしさもあれば、
一緒に酒造りしているのに、知らないうちに酒がしぼられていた、
なんてことも度々で、わからないことだらけだった。
かといって「社長の娘」というある意味超絶厄介な存在を
しかも相当に我の強い小娘を、快く受け入れてくれて、
本当に寛大な方だったんだと、感謝しかない。
おやっさは、新しいことへのチャレンジ精神は旺盛だったし、
アイデアはたくさん持っていた方だったのだけれど、
でも古い造りの枠からはなかなか抜け出すこともできず、
酒は美味しいのだけれど、でもどことなく全部重たい。
おやっさは、感覚の人だったから、
麹が呼んでる、醪が呼んでるってよく言ってたけども、
私は理論的に酒造りを捉えていきたいから、
講習会や他社の造り手さんから学んでは、
こっそり実践してみたこともあったよな。
まぁ、今すぐに思い出せないことも多くなったけど、
とにもかくにも、
私の人生に、湯川酒造店の歩みに、
大きな影響を与えてくれた方であることは間違いない。
記事の中のおやっさは71歳と書いてある。
肌はつやつやしてるし、背筋は伸びてるし、
60歳といっても通じるんじゃないかって驚いた。
冬は酒造り、夏は米作り。
そして毎日自分の好きな酒を飲んで、健康に過ごす。
酒造りの終わりは、本人にとっても不意のことで、
やり抜けなかった無念があったのではと想像するけれど、
引き継いだ私たちの酒を今も飲み続けてくれている。
「どうやら一生飲めそうだ」
色んな意味が込められた、
短くも、強い言葉。
何年かぶりの小谷村へ、
今度は子どもたちを連れて、おやっさに会いに行こう。