酒蔵社長尚子の奮闘記

鷲沢杜氏と私。

作成者: 社長-湯川尚子|June 7, 2025

2005年に私が蔵に帰った時から3シーズン+最後のシーズンはたった1カ月。

鷲沢杜氏(おやっさ)と一緒に酒造りをした期間。

 

今振り返るとたったそれだけかって思うけれども、

おやっさには酒造りのことだけでなく様々なことを教わったし、

たくさんたくさん、とにかくたくさん一緒にお酒を飲んだ。

 

最後は不義理をしてしまって、

そこから2017年か2018年に小谷村へ会いに行くまでの間、

こちらから何か連絡をするようなこともなく、

気づけば10年近い年月が経ってしまっていた。

 

その後、さらに年月が経った2025年のつい先日、

小谷村の職員さんがおやっさからのビデオメッセージを携え、

蔵まで足を運んでくれたのだ。

 

84歳になったと聞いたが、写真の記事がまだウチの蔵にいたころだから、

少なくとも今は88歳にはなっているのではなかろうか。

 

耳の聞こえが少し悪くなったようで、喋りもたどたどしく、

the おじいちゃん、って感じになったのは否めないけども、

 

===============

尚子、げんきか?しばらくだな。

木曽路を毎日飲んでがんばってるぞ。

会いたいなぁ。

いい酒造ってくれてありがとな。

一生飲める酒を造ったつもりだったけど、

どうやら一生飲めそうだ。

これからもいい酒つくってな。

===============

 

って、短くてもぬくもりのあるメッセージをいただき、

すごくすごく嬉しかった。

 

時間軸を確認するのに、自分のブログを読み返してみたけれど、

たくさん教わりながらも、若さゆえの反発もたくさんしてきたし、

「見て覚えろ、感じて学べ」の時代で、

なかなか知りたいことを教えてもらえないもどかしさもあれば、

一緒に酒造りしているのに、知らないうちに酒がしぼられていた、

なんてことも度々で、わからないことだらけだった。

 

かといって「社長の娘」というある意味超絶厄介な存在を

しかも相当に我の強い小娘を、快く受け入れてくれて、

本当に寛大な方だったんだと、感謝しかない。

 

おやっさは、新しいことへのチャレンジ精神は旺盛だったし、

アイデアはたくさん持っていた方だったのだけれど、

でも古い造りの枠からはなかなか抜け出すこともできず、

酒は美味しいのだけれど、でもどことなく全部重たい。

 

おやっさは、感覚の人だったから、

麹が呼んでる、醪が呼んでるってよく言ってたけども、

私は理論的に酒造りを捉えていきたいから、

講習会や他社の造り手さんから学んでは、

こっそり実践してみたこともあったよな。

 

まぁ、今すぐに思い出せないことも多くなったけど、

とにもかくにも、

私の人生に、湯川酒造店の歩みに、

大きな影響を与えてくれた方であることは間違いない。

 

記事の中のおやっさは71歳と書いてある。

肌はつやつやしてるし、背筋は伸びてるし、

60歳といっても通じるんじゃないかって驚いた。

 

冬は酒造り、夏は米作り。

そして毎日自分の好きな酒を飲んで、健康に過ごす。

 

酒造りの終わりは、本人にとっても不意のことで、

やり抜けなかった無念があったのではと想像するけれど、

引き継いだ私たちの酒を今も飲み続けてくれている。

 

「どうやら一生飲めそうだ」

 

色んな意味が込められた、

短くも、強い言葉。

 

何年かぶりの小谷村へ、

今度は子どもたちを連れて、おやっさに会いに行こう。