2013年2月25日早朝。
もう13年も前のことになるのか。
様々な教訓を得た火災。
当時のブログに委細を記録しており、
久しぶりに読み返した。
様々な教訓を得て、今の私がある。
経営者としての基礎がそこにある。
火災など起こしてはならず、
こんな荒療治がなければ、
今の自分がないのではと思うと、
情けなくなってしまうのだけれど、
地域の方をはじめ、
多くの方々に助けていただき、
その関わりがあってこそ、
会社というものを続けられるのだと、
社長になって早々の段階で、
否応なしに気づき感じさせられた、
いや、感じることができ、
この失敗が糧になってきたことは
言うまでもない。
あの日はめちゃくちゃ寒かった。
朝方、マイナス17℃だったと、
当時周囲に話していた記憶がある。
前夜に飲みすぎて倒れ込むように寝落ちたその日、
杜氏の「火事だ、起きろ!」の声に慌てて飛び起き、
窓の外で燃え盛る蔵を見てパニックになり、
無鉄砲に部屋着のまま蔵に向かうも、
サッシを開けた途端に煙に巻かれて入ることができず、
そのまま建物反対側の入口まで走って向かったものの、
蔵の鍵も持っておらず入ることもできず、
心配して駆けつけたご近所さんに紛れて、
ただただ「早く、誰か消して!お父さんごめんなさい!」
と叫んでいたことは記憶にしっかりと焼き付いている。
※父が他界して(社長になって)わずか1年半後の出来事だった。
私がパニックになっている間に、
杜氏が蔵の鍵を開けてくれて、
近所に住んでいてすぐさま駆けつけた頭とともに、
消化活動のサポートや諸々、
対処してくれていたことは、
後から聞いて知ったことばかり。
あまりにパニックの私を、
駆けつけた役場の職員さんが保護してくれたものの、
私がどこにいるかわからなくなれば、
燃え盛る建物に飛び込んだまま行方不明と心配させてはいけないと、
その場にいいた誰かに、「湯川尚子はここにいます!」と、
叫びアピールしていたのも覚えている。
そして保護してくれた方が誰だったかもちゃんと覚えている。
薄っぺらい部屋着姿だったから、
心配して自分がきている上着を着せてくれた方のことも、
その時上着に残っていた温もりも鮮明に思い出せる。
かといって、火の手とは反対側でひとりパニックになっていたため、
最初にみた炎以外には火事そのものをほぼ目撃しておらず、
消化活動そのものもそれほど記憶に残っていない。
鎮火後に消防のホースが張り巡らされた路地の様子とか、
過呼吸と思われてビニール袋を頭から被されたこととか、
細かい情景ばかりが今甦ってくる。
朝になり、消防と警察の現場検証、
保険請求に向けた準備、
建物内の片付け、消臭作業、
建物の復旧に向けた打ち合わせ、
仕掛かりの酒母や醪の対処、などなど。
すぐさまやらねばならないことが多数だった。
その後数ヶ月は、ギュンっと気持ちが張り詰めていて、
それなのに、火災直後以外の記憶は乏しい。
そういえば、ここ何年かは、
2月25日を何事もなく何も考えず、
特に振り返りもせず過ごしてきた。
ここにきて、改めて意識したのには、
私自身、そして会社として、
ステップアップの節目にきており、
自分自身から問われていると言うことなのだろう。
「さぁ、自分の現在地を確かめよ」
「さぁ、あなたの起点を見よ」
「さぁ、改めて自分を見よ」
「さぁ、あなたはどこへ向かいたいのだ?」